






円相8
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別々の職業を持ち、ベースとなる日常生活もバラバラながら、自身の心情や身体感覚から勝手に降りてくることを文字に起こしたものが今回も原稿となって集まりました。批評、論考、小説と形態も異なりながら、不思議と共通して立ち現れてきたものがあります。小倉健太郎が寄せたのは、人間の「欲望」の本質への接近に、ウィトゲンシュタインの言語ゲームを省察することでした。その具体例に小林秀雄の随筆「人形」を借りて見ていきます。小倉が繰り返し展開するエゴであるかセルフであるかの発動の源泉の違いが、ここでも「欲望」への鋭い読みにつながります。まさに現代社会の盲点を付いてくる。それはそのまま「己を虚しくする」ことでそこへ善きもの、輝かしいものが逆に注ぎ込まれる。「今に吹き込む」と小倉が注目した言葉は自分が立つ地点からの拓きとなってそれは図らずとも自己を救うことにつながるとも言える。高橋の小説「神主のはなし」「ふるさと」も相変わらずぼんやり曖昧ながら、どこか自己救済を匂わせている。心奪われ執着したものが一気に剥がされたとしても、何らかの救いは思わぬところからやってくる。17世紀において真に人が救われることとは、と厳密な幾何学形式で説いたスピノザを研究する佐々木は、「エチカ」第4部に起きている不在の公理に着目し、本文においてそこへの追跡を始めました。「エチカ」を単に研究対象にするだけでなく人生の並走者としてスピノザを敬愛してやまない佐々木ならではの肉迫ぶりです。
巻頭の写真は有田耕太朗。詩がうまく働くような条件が揃って現れたような写真。絵描きの川上陽介の絵も小説の挿絵として掲載しています。
道ゆくことば、本の中から、では西脇順三郎の詩について書いています。
また、哲学者の朱喜哲さんの朝日新聞掲載の言葉から深く感銘を受けて考えたことを「気を許して語ること」と題して書いています。
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